縁起・由緒

富士山法華本門寺根源

 当山は通称「北山本門寺」と申し、今から七百有余年の昔、日蓮大聖人の直弟子、白蓮阿闍梨日興上人により開創されました。

 日蓮大聖人滅後、身延山祖廟は輪次守塔制(輪番)が敷かれ、日興上人は身延山を本拠地として甲斐駿河の伝道にあたられました。宗祖七回忌の正応元年(1288)十二月、身延を下山。南條時光の屈請により上野へ移られ、同三年十月、大石ヶ原に草庵を結ばれましたが、日興上人は重須丸山の風光をこよなく愛され、重須石川能忠、上野南條時光の両地頭より土地の寄進をうけました。そこで上野および小泉法華講衆の協力を得て、永仁元年(1293)起工。同六年(1298)、本堂・御影堂・垂迹堂の三堂落成。日蓮大聖人の誓願である本門戒壇建立の根源として『法華本門寺根源』の額を掲げられました。当山に三十六年間おられた日興上人は重須談所を興して後進の育成に努め、元弘三年(1333)二月七日、八十八歳で遷化されるまで、御題目の流布に努められました。

 なお、永年にわたり富士門流(本門宗)の総本山でしたが、昭和十六年(1941)日蓮宗・本門宗・顕本法華宗の三派合同により、現在の日蓮宗が誕生し、七大本山の位に列せられております。

生御影尊像(本堂内御宮殿奉安)

 本堂内には日蓮大聖人等身の御影で中老僧日法上人により彫刻され日蓮大聖人自ら開眼されたと言われ、「生きませる祖師」が奉安され信仰を集めている。

 六老僧日朗上人が当寺に参拝の折り、「我が師はいずれにおわすかと思いしに、当寺におわせしか」と御影の肩に抱きつき、涙を流したと伝えられる。(当山第一の御霊宝として本堂に奉安されています。)

日興上人御正廟

 日興上人は元弘三年(1333)二月七日、当山に於いて遷化。翌八日荼毘に付され、当地に御正廟が建立されました。

日興上人お手植え七本杉  題目杉

 当山開創の砌、日興上人が南無妙法蓮華経の七字にあやかり、お手植えになられた巨杉(幹周り約七m)。七百有余年の風雪に耐え、度重なる落雷、台風、あるいは枯死により、現在は三本を遺すのみとなりました。