第3回 おもす道場 

8月17日から一泊二日の日程で、修養道場を開催致しました。詳細な報告は「おもすの森」9月号にて掲載致します。

ご協力頂きました 重須孝行太鼓保存会の皆様、役課上人、誠にありがとうございました。

令和6年度 御大事御本尊会

 七月二十四日(土用の丑の日)に、年中行事である御大事御本尊会が営まれました。御静養中の貫首猊下御名代として、鈴木春雄執事長御親修の下、年に一度の開帳となる霊験あらたかな御大事御本尊が奉奠されました。

 当日は、司判・由緒家・大世話人・重須婦人会・檀信徒の方々に御参拝頂き、お経が転読される中、執事長と佐野布教道部長が御大事御本尊を頂戴し、参列者はその「御大事様」の下をくぐり抜け、疫病退散の御利益を賜ると同時に、お樒祓いで身体健全・無病息災を祈りました。法要後、執事長から御大事御本尊のいわれ(下段に記載)と御法話を賜りました。

「昔は村々を御大事御本尊様を掲げ、お題目をお唱えしながら、疫病退散の行脚を致しましたが現在は当山へお集り頂き、この様な形でお勤め致しております。さて、皆様には沢山の汗を流しながら、一心にお題目をお唱えして頂きました。汗をかいた後に水を飲めば身体が潤います。それと同じように南無妙法蓮華経という尊いお題目は、日々疲れて乾いてしまった心に潤いを与えて下さいます。本日、年に一度の御大事御本尊を奉奠し、疫病退散・暑気払いのご利益を頂戴出来た事に感謝し、皆様の無病息災をお祈り申し上げ挨拶と致します。」

『御大事御本尊の縁起』

 日蓮大聖人は文永十一年二月十四日、佐渡流罪から赦免。三月十三日、配所の一谷(いちのさわ)を出発。渋手(しぶて)から真浦(まうら)へと二泊され、十五日に真浦の津よりご発船。越後の柏崎(かしわざき)に御着岸されました。三月十八日、越後 御道筋の陀羅尼(だらに)村にさしかかるや、白髪の老翁が、大聖人の御前に現れ、「貴僧のおいでをお待ちしていました。このところ疫病が流行して諸人悉く難渋していますので、何卆病魔退散のご祈祷とご所持のお守りを申し受け賜りたい」と願い出られましたので大聖人は懐中よりお守りの御本尊を取出し御祈願されるや疫病は見る見るうちに退散したと伝えられています。後年、大聖人はこの御本尊を日興上人へご授与せられ、日興上人が身延を下山の際、奉持して当山に格護され別称『御大事御本尊』と称し尊い信仰を集めております。

 尚、このいわれのある大切な『御大事御本尊』をお守りとして作成し、檀信徒の方々に授与しております。御希望の方は当山までお問い合わせ下さい。

令和6年度 垂迹祭 

四月二十九日(月・祝日)、世間一般ではみどりの日、昭和の日とされていますが、当山では年中行事である本化垂迹天照太神祭が奉修されました。重須太神社殿前より歩まれ、鈴木春雄執事長の下、塔中僧侶らが垂迹堂へと昇堂し、午前十時より法味言上がなされました。垂迹堂は、日興上人が七二八年前に重須の地をひらかれた際に、建立なされた三堂と言われるお堂の一つです。焼失して永らく再建が叶いませんでしたが、第四十七世貫首日幹猊下が昭和五十三年に落慶奉告がなされてより、それをご縁に重須孝行太鼓保存会を発足し、以来毎年、勇壮な祭典が行われる様になりました。本年は五十名を越える重須孝行太鼓保存会の面々による、奉納太鼓をご披露して頂きました。鈴木執事長は挨拶で「コロナ禍で活動が大変厳しい年が続いておりましたが、練習を重ね、今年はこの様に大勢の皆様による大変力強い奉納太鼓を拝聴させて頂けた事、天照太神様、日興上人様も大変お喜びになられていらっしゃることでしょう。」と述べられました。重須孝行太鼓保存会は発足より約四十八年、今なお熱心な少年少女達によって地域内外において活動を行っており、昨年では三十件以上の演奏が行われました。重須孝行太鼓にご興味がある方は、お気軽に本門寺まで、お問い合わせ下さい。