七月二十四日(土用の丑の日)に、年中行事である御大事御本尊会が営まれました。御静養中の貫首猊下御名代として、鈴木春雄執事長御親修の下、年に一度の開帳となる霊験あらたかな御大事御本尊が奉奠されました。
当日は、司判・由緒家・大世話人・重須婦人会・檀信徒の方々に御参拝頂き、お経が転読される中、執事長と佐野布教道部長が御大事御本尊を頂戴し、参列者はその「御大事様」の下をくぐり抜け、疫病退散の御利益を賜ると同時に、お樒祓いで身体健全・無病息災を祈りました。法要後、執事長から御大事御本尊のいわれ(下段に記載)と御法話を賜りました。
「昔は村々を御大事御本尊様を掲げ、お題目をお唱えしながら、疫病退散の行脚を致しましたが現在は当山へお集り頂き、この様な形でお勤め致しております。さて、皆様には沢山の汗を流しながら、一心にお題目をお唱えして頂きました。汗をかいた後に水を飲めば身体が潤います。それと同じように南無妙法蓮華経という尊いお題目は、日々疲れて乾いてしまった心に潤いを与えて下さいます。本日、年に一度の御大事御本尊を奉奠し、疫病退散・暑気払いのご利益を頂戴出来た事に感謝し、皆様の無病息災をお祈り申し上げ挨拶と致します。」
『御大事御本尊の縁起』
日蓮大聖人は文永十一年二月十四日、佐渡流罪から赦免。三月十三日、配所の一谷(いちのさわ)を出発。渋手(しぶて)から真浦(まうら)へと二泊され、十五日に真浦の津よりご発船。越後の柏崎(かしわざき)に御着岸されました。三月十八日、越後 御道筋の陀羅尼(だらに)村にさしかかるや、白髪の老翁が、大聖人の御前に現れ、「貴僧のおいでをお待ちしていました。このところ疫病が流行して諸人悉く難渋していますので、何卆病魔退散のご祈祷とご所持のお守りを申し受け賜りたい」と願い出られましたので大聖人は懐中よりお守りの御本尊を取出し御祈願されるや疫病は見る見るうちに退散したと伝えられています。後年、大聖人はこの御本尊を日興上人へご授与せられ、日興上人が身延を下山の際、奉持して当山に格護され別称『御大事御本尊』と称し尊い信仰を集めております。
尚、このいわれのある大切な『御大事御本尊』をお守りとして作成し、檀信徒の方々に授与しております。御希望の方は当山までお問い合わせ下さい。